玄洋社
1881年に福岡で設立された政治結社。日本の右翼運動の源流であり、政治・軍部・裏社会に広範な影響力を持った。
概要
玄洋社(げんようしゃ)は、1881年(明治14年)に福岡県で設立された政治結社である。名称は玄界灘にちなむ。頭山満を精神的指導者として、国粋主義・アジア主義を掲げた日本最初期の右翼団体であり、その後の日本の右翼運動に多大な影響を与えた。
1946年にGHQにより解散を命じられるまで、65年にわたって日本の政治に影響を与え続けた。
設立の経緯
明治維新後の自由民権運動の流れの中で、福岡の旧士族を中心に結成された。当初は民権運動の色彩を持っていたが、やがて国権主義・国粋主義へと傾斜していった。
設立の中心人物には平岡浩太郎、進藤喜平太らがいたが、実質的な指導者は頭山満であった。
活動
政治活動
玄洋社は直接的な政治活動よりも、人脈を通じた間接的な影響力の行使を得意とした。政治家、軍人、財界人、さらには裏社会の人間に至るまで、幅広い人脈を構築し、日本の国策に影響を与えた。
アジア主義
玄洋社の重要な活動の一つが、アジア諸国の独立運動の支援であった。中国の孫文、フィリピンのアギナルド将軍、インドのビハリ・ボースなど、アジアの革命家・独立運動家を日本に匿い、資金や情報を提供した。
大陸浪人
玄洋社は多くの「大陸浪人」を輩出した。大陸浪人とは、中国大陸や朝鮮半島で活動した日本人の民間工作員であり、情報収集や政治工作に従事した。
裏社会との関係
玄洋社の活動を支えたのは、福岡を中心とする博徒・侠客のネットワークであった。政治活動の資金源として、また実力行使の手段として、裏社会の力が不可欠であった。
この構造は、戦後の日本における右翼団体と暴力団の密接な関係の原型となった。
解散とその後
1946年、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指令により、超国家主義団体として解散を命じられた。しかし、玄洋社の人脈とネットワークは戦後も生き続け、児玉誉士夫や笹川良一といった「フィクサー」を生み出す土壌となった。