人物
フィクサー右翼競艇政治戦後

笹川良一

/ささかわりょういち/

戦前は右翼活動家、戦後は競艇事業を通じて莫大な資産を築いた「日本のフィクサー」。政財界に絶大な影響力を持った。

DATE: 2024/1/1

概要

笹川良一(ささかわ りょういち、1899年 - 1995年)は、日本の政治活動家・社会事業家。戦前は国粋大衆党を率いた右翼の大物として知られ、A級戦犯容疑者として巣鴨プリズンに収容された経歴を持つ。戦後は日本船舶振興会(現・日本財団)の会長として競艇事業を掌握し、その莫大な資金力で政財界に影響力を行使した。

戦前の活動

国粋大衆党

1931年に国粋大衆党を結成。「国粋主義者にして大衆の味方」を標榜し、最盛期には15,000人の党員を擁した。自ら飛行機の操縦免許を取得し、イタリアのムッソリーニとの会談を果たすなど、派手なパフォーマンスで知られた。

巣鴨プリズン

終戦後、A級戦犯容疑者として巣鴨プリズンに収容された。同じ収容者であった児玉誉士夫との出会いは、戦後の日本政治に大きな影響を与えることになる。1948年に不起訴となり釈放。

戦後の事業

競艇事業

釈放後、モーターボート競走法の成立に尽力し、1962年に日本船舶振興会の会長に就任。競艇の収益金を原資とした事業は莫大な資金を生み出し、笹川は「世界一の金持ち」とまで称された。

社会事業と批判

日本財団を通じてハンセン病撲滅運動や災害支援など、世界規模の社会事業を展開した。「一日一善」のテレビCMは広く知られた。

一方で、その資金力を背景にした政治への介入、右翼・暴力団との関係が批判され続けた。

裏社会との関係

笹川は児玉誉士夫と並ぶ「フィクサー」として、政界と裏社会の橋渡し役を担ったとされる。暴力団幹部との交流も指摘されており、特に山口組三代目・田岡一雄との関係が知られている。

ロッキード事件では児玉誉士夫が起訴されたが、笹川は直接の司法追及を免れた。しかし、この事件を通じてフィクサー政治の実態が国民の目に晒されることとなった。

評価

笹川良一の評価は極端に分かれる。社会事業家としての功績を称える声がある一方、戦前の右翼活動や裏社会との関係を批判する声も根強い。「右翼のドン」「日本のフィクサー」として、戦後日本の光と影を体現した人物と言える。