金嬉老事件
1968年に在日韓国人の金嬉老がライフル銃とダイナマイトで人質をとり旅館に88時間立てこもった事件。民族差別への抗議が動機とされる。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 発生日 | 1968年(昭和43年)2月20日〜2月24日 |
| 発生場所 | 静岡県清水市(現・静岡市清水区)→寸又峡温泉 |
| 犯人 | 金嬉老(きん きろう / キム・ヒロ) |
| 犯行形態 | 殺人・人質立てこもり |
| 被害 | 暴力団関係者2名死亡 |
| 籠城時間 | 約88時間 |
概要
金嬉老事件(きんきろうじけん)は、1968年2月に在日韓国人の金嬉老(当時39歳)がライフル銃で暴力団関係者2名を射殺した後、静岡県の寸又峡温泉の旅館「ふじみや」に人質をとって約88時間にわたり立てこもった事件である。籠城中、金嬉老はマスコミを通じて在日韓国人に対する民族差別を告発し、事件は単なる犯罪事件を超えた社会問題として大きな反響を呼んだ。
事件の背景
金嬉老の生い立ち
金嬉老は1928年(昭和3年)に静岡県清水市で在日朝鮮人の家庭に生まれた。幼少期から貧困と差別に苦しみ、少年時代には窃盗などの非行を繰り返した。成人後も暴力団との関わりや詐欺事件での服役を経験し、社会の底辺で生きることを余儀なくされた。
差別体験
金嬉老が特に憤っていたのは、警察官から「朝鮮人」と蔑称で呼ばれた経験であった。この差別的扱いへの怒りが、後の籠城事件における民族差別告発の動機となった。
事件の経過
殺害事件(2月20日)
1968年2月20日、金嬉老は清水市内のクラブで暴力団関係者2名をライフル銃で射殺した。殺害の直接の動機は金銭トラブルとされているが、日常的に受けていた差別と侮蔑への鬱積した怒りも背景にあった。
寸又峡での籠城(2月20日〜24日)
殺害後、金嬉老はダイナマイト十数本とライフル銃を持って寸又峡温泉の旅館「ふじみや」に押し入り、宿泊客ら十数名を人質にとって立てこもった。
籠城中、金嬉老はテレビカメラの前で以下のような主張を展開した。
- 日本社会における在日韓国・朝鮮人への組織的差別の告発
- 警察官による差別的言動の糾弾
- 差別をなくすための社会的議論の要求
金嬉老は人質に対しては比較的穏やかに接し、食事を共にするなど奇妙な交流が生まれた。この様子はテレビ中継され、日本中の注目を集めた。
投降(2月24日)
籠城開始から約88時間後の2月24日、金嬉老は説得に応じて投降した。人質全員が無事に解放された。
裁判と判決
1975年、静岡地裁は金嬉老に無期懲役の判決を下した。弁護側は民族差別が犯行の根本原因であるとして減刑を求めたが、裁判所は殺人の事実を重視した。
金嬉老は服役中も在日韓国人の権利擁護を訴え続け、韓国でも支援運動が展開された。1999年、仮釈放が認められ、韓国に渡航。以後、韓国で余生を過ごし、2010年に死去した。
社会的影響
金嬉老事件は、戦後日本社会における在日韓国・朝鮮人差別の問題を広く世間に知らしめた事件として位置づけられている。事件をきっかけに、差別問題に関する社会的議論が活発化し、在日外国人の人権問題への関心が高まった。
一方で、暴力的手段による問題提起の是非については、事件当時から現在に至るまで議論が続いている。犯罪行為を正当化することはできないが、その背景にあった構造的差別の問題は、別途正面から向き合うべき課題として認識されるようになった。