人物
侠客幕末博徒伝説清水

清水次郎長

/しみずのじろちょう/

幕末〜明治期に駿河国で活躍した伝説的侠客。任侠道の象徴的人物として数々の講談・映画・小説の題材となった。

DATE: 2024/1/1

概要

清水次郎長(しみずの じろちょう、本名:山本長五郎、1820年〜1893年)は、幕末から明治にかけて駿河国清水湊(現・静岡県静岡市清水区)を拠点に活躍した博徒・侠客である。

「海道一の大親分」と称され、任侠道の理想像として後世に語り継がれた。講談・浪曲・映画・テレビドラマなど、数多くの作品の題材となっている。

生涯

若年期

清水湊の船持ち船頭(廻船業者)の家に生まれ、若くして博徒の世界に足を踏み入れた。気性が荒く喧嘩に明け暮れる日々を送ったが、やがて子分を率いる親分として頭角を現す。

勢力拡大

東海道沿いの宿場町を拠点に勢力を拡大。「清水二十八人衆」と呼ばれる子分たちを率い、駿河から遠州にかけて広大な縄張りを築いた。

他の博徒との抗争も数多く経験し、特に甲州の黒駒勝蔵との対立は講談の名場面として知られる。

明治以降

明治維新後は博徒を引退し、清水港の開発・富士山麓の開墾事業に尽力した。侠客から実業家への転身は、裏社会から「足を洗った」成功例として語られる。

1893年、74歳で死去。清水の梅蔭寺に墓がある。

任侠の象徴として

次郎長が任侠の象徴として語り継がれる理由は、義理と人情を重んじ、弱きを助け強きを挫くという侠客の理想像を体現したとされる点にある。

ただし、実際の次郎長は博徒同士の抗争で人を殺めた犯罪者でもあり、後世の美化が相当に入っていることは注意が必要。

関連項目

  • 博徒 — 次郎長の出自
  • 極道 — 次郎長が象徴する生き方
  • 任侠 — 次郎長が体現した精神
  • 義理 — 侠客の行動原理