山口春吉
山口組の初代組長。神戸の港湾労働者の元締めとして組を興し、日本最大の暴力団組織の礎を築いた人物。
概要
山口春吉(やまぐち はるきち、1881年頃 - 1942年頃)は、山口組の初代組長である。神戸港の港湾労働者の手配師・元締めとして頭角を現し、後に日本最大の暴力団組織となる山口組の基礎を築いた。
生い立ちと神戸
山口春吉は漁師の家に生まれたとされる。若くして神戸に出て、港湾労働者(沖仲仕)として働き始めた。当時の神戸港は日本有数の貿易港として急速に発展しており、大量の労働力を必要としていた。
港湾労働は日雇いが中心で、労働者の手配を行う「手配師」が大きな力を持っていた。山口春吉は持ち前の統率力で労働者たちをまとめ、やがて有力な手配師の一人となった。
山口組の結成
1915年(大正4年)頃、山口春吉は自らの名を冠した「山口組」を結成した。これが現在の山口組の起源である。当初は港湾労働者の手配を主な生業とする組織であり、いわゆる「沖仲仕」の元締めであった。
組は神戸港周辺を拠点とし、港湾労働の手配に加え、芸能興行(大衆演劇など)の仕切りも手がけるようになった。
組織の特徴
初代山口組は、後の巨大組織とは比較にならない小規模な組であった。構成員は数十名程度であり、神戸港という限られた地域での活動にとどまっていた。
しかし、港湾労働の手配を通じて築いた人脈と、芸能興行で培った交渉力は、後の山口組発展の基盤となった。
二代目への継承
山口春吉の引退後、山口組は二代目・山口登に引き継がれた。二代目もまた港湾労働と芸能興行を中心とした活動を続けたが、組織の大幅な拡大には至らなかった。
山口組が全国規模の巨大組織に成長するのは、三代目・田岡一雄の時代を待つことになる。田岡は山口春吉が築いた神戸の地盤を活かしつつ、組織を全国に拡大していった。
評価
山口春吉は、日本最大の暴力団組織の創始者という歴史的な位置づけにあるが、その実像については資料が限られている。港湾労働者の元締めとして地域社会に一定の役割を果たしていた面もあり、近代日本の都市化と労働問題を映す存在でもある。