一和会
1984年に山口組から分裂した暴力団。山一抗争を経て1989年に解散。四代目山口組組長・竹中正久を暗殺したことで知られる。
概要
一和会(いちわかい)は、1984年に山口組(当時・四代目体制移行期)から分裂して結成された暴力団組織。会長は山本広(やまもと ひろし)。四代目山口組組長・竹中正久の暗殺(1985年1月)を実行し、それにより始まった**山一抗争(やまいちこうそう)**の末に1989年に解散した。存続期間は約5年と短命だったが、戦後最大の暴力団抗争の当事者として歴史に名を残す。
結成の経緯
三代目・田岡一雄が1981年に死去した後、山口組では四代目組長の選出をめぐる内部対立が顕在化した。「タケフジ(竹中正久支持派)」と「ヤマモト(山本広支持派)」に分かれた派閥争いの結果、1984年7月に竹中正久が四代目に就任。
これに強く反発した山本広ら幹部グループが同年、山口組を離脱して一和会を結成した。離脱者は主に関西の有力組織幹部を含み、一時は数千人規模の組織となった。
竹中正久の暗殺
1985年1月26日夜、大阪府吹田市江坂町の愛人宅マンション前で四代目山口組組長・竹中正久が一和会のメンバーに拳銃で射殺された。翌27日に死亡。同時に側近の若頭補佐も狙われ、山口組は激震に包まれた。
山一抗争
竹中暗殺を受け、山口組は一和会に対して全面抗争を宣言。以降4年以上にわたって続く山一抗争が始まった。
抗争の規模
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| 期間 | 1985年〜1989年(約4年) |
| 死者数 | 約25名 |
| 負傷者数 | 約70名以上 |
| 発砲・襲撃事件 | 70件超 |
| 関連逮捕者 | 数百名 |
抗争の推移
当初は一和会側が攻勢に出たが、組織規模の差(山口組数万人 vs 一和会数千人)が徐々に影響し、一和会の構成員は減少。構成員の逮捕・離脱が相次ぎ、会の組織力は急速に低下した。
解散
1989年、山本広が一和会の解散を宣言。元構成員の多くは山口組へ復帰するか、別の組織へと移籍した。解散を受けて山一抗争も終結した。
歴史的意義
山一抗争は戦後最大規模の暴力団抗争として記録されており、その衝撃が1992年の**暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律(暴対法)**制定を後押ししたとも指摘される。一和会の存在は、山口組が単一の巨大組織として君臨できるほどの圧倒的な組織力を持つことを改めて証明した。