竹中正久
四代目山口組組長。就任からわずか半年後に一和会メンバーに暗殺され、山一抗争の直接の引き金となった。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年月日 | 1933年(昭和8年)11月30日 |
| 没年月日 | 1985年(昭和60年)1月27日 |
| 出身地 | 兵庫県神戸市 |
| 役職 | 四代目山口組組長 |
| 在任期間 | 1984年7月10日〜1985年1月27日(約半年) |
| 出身組織 | 竹中組(たけなかぐみ) |
概要
竹中正久(たけなか まさひさ)は、四代目山口組組長。三代目・田岡一雄の死去(1981年)から続いた後継争いを経て1984年に就任したが、翌1985年1月26日夜に大阪府吹田市江坂町の愛人宅マンション前で一和会(いちわかい)メンバーに銃撃され、翌27日に死亡した。組長在任期間はわずか半年余りで、その暗殺は山一抗争の引き金となった。
竹中組と山口組内での立場
竹中は自身が率いる竹中組(神戸・兵庫を地盤)を通じて山口組に加入。その組織力と個人的な武勇から三代目・田岡一雄に信任された。田岡の死後、後継候補の一人として名前が挙がった。
四代目継承問題
田岡一雄の死後、後継は山本健一(通称「山健」、山健組組長)が最有力視されたが、山本は健康上の理由などから辞退。組内では引き続き後継者選びが難航した。
1984年7月、竹中正久が四代目組長に就任。しかし一部の幹部はこの人事に強く反発した。
一和会の結成
四代目就任に反発した幹部を中心に**一和会(いちわかい)**が発足。山本広(やまもと ひろし)が会長となり、山口組と対立する独立組織として活動を開始した。
暗殺
1985年1月26日夜、大阪府吹田市江坂町の愛人宅マンション前で竹中正久は一和会のメンバーに拳銃で射殺された。同時に若頭補佐ら複数の組幹部も狙われ、組は激震に包まれた。
山一抗争の勃発
竹中の暗殺を受けて、山口組は一和会に対し全面抗争を宣言した。これが**山一抗争(やまいちこうそう)**の始まりである。抗争は1985年から1989年まで4年以上続き、双方合わせて25名以上が死亡、70件以上の発砲・襲撃事件が発生した。
竹中武との関係
竹中正久の実弟とも伝えられる竹中武(たけなか たける)は後年、山口組から分裂して生じた神戸山口組の初代組長となった。