人
人物
渡辺芳則
/わたなべよしのり/
五代目山口組組長(1989〜2005)。バブル期から規制強化期にかけて組を率い、最盛期の山口組を統括した。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年月日 | 1941年(昭和16年)1月8日 |
| 没年月日 | 2012年(平成24年)12月1日 |
| 役職 | 五代目山口組組長 |
| 在任期間 | 1989年〜2005年 |
| 出身組織 | 山健組(やまけんぐみ) |
概要
渡辺芳則(わたなべ よしのり)は、五代目山口組組長(1989〜2005年)。山口組の最盛期にあたるバブル経済期から、暴対法施行による規制強化期にかけて組を率いた。在任中の構成員数は推定2万人超に達し、歴代最大規模とも言われる。
山健組での経歴
渡辺は山口組の有力直系組織・**山健組(やまけんぐみ)**に所属。同組は若頭・山本健一(「山健」の愛称で知られる)が率い、田岡一雄死後の山口組を実質支配した。渡辺はその山健組の後継者として頭角を現した。
四代目継承問題と山一抗争
三代目・田岡一雄の死後(1981年)、後継をめぐる内部対立が表面化した。竹中正久が四代目として擁立されたが、これに反発した**一和会(いちわかい)**が分裂。一和会メンバーにより竹中正久が1985年1月に暗殺されると、山一抗争が勃発した。
渡辺は四代目・竹中体制の中枢にいた人物として抗争に深く関与した。
五代目組長就任
四代目体制崩壊後の混乱を経て、1989年に五代目組長に就任。「対立を収束させ組をまとめる」ことが課題とされた。
バブル期の拡大と暴対法
渡辺体制下でのバブル景気の恩恵を受け、山口組は土地転がしやゴルフ場利権など合法・違法の双方で収益を拡大。構成員数は最盛期に達した。
しかし1992年、**暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律(暴対法)**が施行。続く各都道府県の暴力団排除条例(暴排条例)により、組の資金調達や社会活動が急速に制約された。
退任と後継
2005年、悪性リンパ腫に罹患し体調が悪化。同年4月に組長を退任し、後継として**弘道会・篠田建市(司忍)**が六代目組長に就任した。
晩年と死去
退任後は表舞台から退き療養生活を送った。2012年12月1日、兵庫県神戸市中央区の自宅で死去。享年71歳。